伝説によれば、西暦40年代にイエスの使徒マルコがエジプトのアレクサンドリアに伝道して創設されたと伝えられ、2~3世紀からエジプトに広まったキリスト教の教派。アレクサンドリアは、ローマ、アンティオキアと並ぶ司教座の一つで、聖書の解釈を研究するアレクサンドリア学派が興るなど、古代キリスト教の中心地となった。またエジプト全域には、古代ギリシャ語の影響を強く受けたコプト語を用いる信者が多数存在し、アレクサンドリア学派の思想的、政治的背景ともなった。彼らは4世紀初めに、アントニウスを中心にして修道院を設立、後の修道院制の原型となった。5世紀に起こった、キリストの神性・人性に関する神学論争の際、アレクサンドリア学派は、神性のみとするキリスト単性論を支持したが、三位一体説(→「アリウス派」)を掲げるローマ教会およびコンスタンティノープル教会に論争で敗れ、451年に主教ディオスコロスはカルケドン公会議で罷免され、エジプトの教会は孤立した。そこで457年独自の主教を擁立してローマのキリスト教世界から離れていき、コプト教会が成立した。その後ローマやビザンツ帝国の弾圧が強まり、さらに642年にはイスラーム勢力によるエジプト征服もあって、イスラームへの改宗が相次ぎ、コプト教会信者は減少した。現在、エジプトの人口の約10%を占めている。イスラームではブタを不浄とし、食べることをタブーとしてきたが、コプト教徒はブタを飼育し食べる。2009年4月29日、新型(豚)インフルエンザの対策として、エジプト政府はブタの全頭処分を開始。少数派のコプト教徒に多い廃品回収・養豚業者がこれを宗教差別として反発し、治安部隊と衝突して、政府との対立を深めている。