さまざまな解釈はあるが、仏教において仏を念ずること。おおむね今日では、仏・菩薩の顔形や功徳(くどく)を心に瞑想する観想念仏(かんそうねんぶつ)と、その名号を口に唱える称名念仏しょうみょうねんぶつ)に大別している。奈良・平安時代は観想念仏が僧侶によって一般に行われていたが、平安中期からは源信が阿弥陀仏に救いを求める浄土信仰(→「末法思想」)を広めて、民間でも南無阿弥陀仏と唱える称名念仏が盛んになった。鎌倉時代になると、浄土宗の法然や浄土真宗の親鸞が現れて、末法の世に生を受けた人間は本質的に罪深い存在であり、自分の力(自力)では救われず、ただ阿弥陀如来の信仰と念仏(他力)によってのみ往生できるとする他力本願の教えを説き、念仏が民間に定着していった。(→「鎌倉仏教」)