標高3776メートルの日本の最高峰。古代から、富士山は活火山として畏怖され、神の宿る霊峰、あるいは山それ自体が神であり、日本を鎮護する神体山として崇拝されていた。これを山岳信仰という。奈良時代の歌人で東国関連の歌をよくした高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)は、『万葉集』で「……もゆる火を 雪もち消(け)ち ふる雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけも知らず 霊(くす)しくも います神かも……」(岩波文庫)と、雪降るなか、火を噴く富士山を、霊妙に鎮座する神の姿だと詠(うた)っている。また、平安初期の漢詩人で名文家として知られた、都良香(みやこのよしか)の著した『富士山記』には、富士山が日本一高い山であり、浅間大神(あさまのおおかみ)が祀(まつ)られ、修験道の開祖役小角(えんのおづぬ)が初めて頂上に登ったと記されている。記録に残る富士山の噴火は781年(天応元)から、宝永山を生んだ1707年(宝永4)まで10数回に及び、畏怖すべき霊山として修験道の行場となった。中世には神仏習合の思潮から、浅間大神に浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)という菩薩号を授けて祀り、山頂に見えるとされる三峰には、阿弥陀如来を中心にして、両脇に大日如来と薬師如来が配され(左右の別は諸説ある)、崇拝された。近世には富士講と呼ばれる信仰集団が結成され、民衆の富士山登拝が盛んになっていった。富士講からは、明治期に扶桑教(ふそうきょう)や丸山教(まるやまきょう)、実行教(じっこうきょう)などの神道系教団が組織化されている。ちなみに戦前には、台湾の新高山(玉山)が最高峰で、富士山は五番目だった。敗戦後に日本一の山となり、2013年に世界文化遺産に選定された。