神仏習合の端緒は仏を外国の神とした仏教伝来の時にあった。国分寺建立の詔の出された直後、藤原広嗣の乱が起こり、その鎮圧に功のあった宇佐八幡宮に10人の僧侶が配属されるとともに仏典が納められ、三重塔が建てられた。さらに八幡神は国家神として大仏造立を援助し、仏教を擁護する神つまり護法善神とされ、八幡大菩薩という菩薩号(→「大乗/小乗」)を授与される。ここに神仏習合が始まる。
他方、地方神の場合は、前世の行いによって神の身となって苦しみを受けているため、仏教に帰依し、神の身を離脱して救われたいと託宣をして、菩薩号を授与される。神が仏に従属する関係ができあがる。平安時代中期には、仏が人間を救うために、仮に神の姿で現れたとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が唱えられ、神の本地として特定の仏が指定され、神社には神宮寺が建てられ、神前で読経が行われた。神仏習合は明治初期の神仏分離(→「廃仏毀釈」)まで続き、現世中心的な信仰心を育んだ。