ギリシャ語の肖像・類似を意味するエイコン(eikon)が語源で、英語読みならアイコン。ギリシャ正教会やロシア正教会などの東方正教会で、信仰・崇拝の対象になる、イエス・キリストや聖母マリア、聖人などの聖画像。板絵形式のものが多く、教会内ばかりでなく、信者の家にも祀(まつ)られ、崇敬されている。キリストやマリアの肖像を正面向きに大きく描いたイコンが最も多い。また、受胎告知、イエスの降誕・ヨハネによる洗礼・受難・復活・昇天など、キリストの生涯を題材にしたイコンもある。聖堂内で祭壇が置かれる至聖所と信者が祈祷する聖所を隔てる壁「イコノスタス(聖障)」には、並べ方や描かれるモチーフに独自の決まりがあるイコンが多数掲げられる。8世紀から9世紀にかけて、ビザンティン帝国の歴代皇帝によって偶像崇拝を禁ずるイコノクラスム(聖像破壊)が断続的に起こり、イコン制作は一時衰退したが、9世紀前半、ようやく神学的にイコン礼拝が認められると、モザイク画などとしてビザンティンで発展していった。988年、キエフ大公ウラジミールが洗礼を受けて東方正教会に改宗。同年これを国教と定めると、のちのロシアとなる同地方でもイコン制作が始まり、絵画の持つわかりやすさもあってイコン崇拝とともに急速に隆盛し、東欧各国の正教会にも広まっていった。日本では、1861年(文久1)、箱館(当時)のロシア領事館付司祭としてニコライが赴任し、ロシア正教が伝道された折、イコンももたらされた。14~15世紀にモスクワで活躍したフェオファン・グレクやその弟子アンドレイ・ルブリョフなど、一部の例外を除き、多くのイコンは作者の名が知られていないが、日本で最初のイコン画家としては、ロシアで学んだ女性画家山下りん(1857~1939)がいる。東方正教会の伝統的なイコンでなく、イタリア絵画の技法で描かれたその聖像は、確認されているものだけでも300点以上に及び、秋田県大館市の北鹿ハリストス正教会や岩手県大船渡市の盛ハリストス正教会などに残されている。また、皇太子時代に来日したロシア皇帝ニコライ二世に献上された「ハリストスの復活」は、現在ロシア留学時代にりんが通い詰めたエルミタージュ美術館に所蔵されている。