奈良県桜井市にある古墳時代初めの遺跡。桜井市教育委員会が調査して、柵列で囲んだ3棟の建物を見つけた。最も大型の建物は床面積が238平方メートルであり、3世紀前半とされる。これは弥生時代の大型建物より規模が大きく、また以前に調査した祭殿とされる大型建物を含めた4棟の建物は方位をそろえて配置されている。纏向遺跡は、邪馬台国の王都の有力候補であり、調査した地区はその中枢部と推定される。中国の史書「三国志」の魏志倭人伝に記録される卑弥呼の宮室の一角である可能性をもつ。また、大型建物の東からさらに1棟の大型建物(3世紀後半以後)の一部が発掘された。建物の方位が異なることから、王宮の建て替え、あるいは一時移転してから再度建設したものと推定できる。また3世紀中ごろの穴からモモ・ウリ・アサ・コウゾなどの植物遺体、タイ・アジ・イワシ・サバなどの魚骨、シカ・イノシシなどの獣骨などが大量に見つかり、卑弥呼の王宮に供献されたものである可能性が高いとされる。またこの穴からは、ヒノキの建築材(敷居と垂木)も見つかっている。2015年、同教育委員会の調査により、古墳時代前期後半(3世紀後半~4世紀ごろ)のイノシシの骨の卜骨(占いに用いた骨)や同時期の建物が見つかった。纏向遺跡の最盛期は邪馬台国女王卑弥呼の時代(2世紀末~3世紀前半)であるが、これらの成果によりそれ以後も纏向遺跡が存続していると考えられるようになった。また桜井市纏向学研究センターの調査により、纏向遺跡から弥生時代と古墳時代をつなぐ巴形石製品(ともえがたせきせいひん)や朝鮮半島系の焼き物が出土していることが明らかにされた。