富山市の呉羽丘陵北端裾の新鍛冶川沿いにある縄紋時代前期を中心とする貝塚遺跡。縄紋時代前期は海進期にあたり、今よりも大きかった放生津潟(ほうじょうづがた)のほとりにあったと推定できる。北陸新幹線の建設に伴い富山県文化財振興財団が発掘調査を行い、70体以上の保存状態が良い埋葬人骨を発見した。また弓・石斧(せきふ)の柄、容器などの木器や、イヌ・イルカの骨や歯など多数の遺物が出土している。従来、縄紋時代前期には一つの遺跡で多くて十数体の埋葬の発見例しかなく、この時期のこれだけの大墓地が見つかったことは初めてである。埋葬の多くは手足を折り曲げて埋葬する屈葬(くっそう)であり、その他に人頭大の石を抱えた状態で葬った抱石葬(だきいしそう)、体をまっすぐに伸ばして葬った伸展葬(しんてんそう)がある。また男性人骨に石斧、女性人骨に石皿(植物性食料の加工具)を供えた例が確認されている。今後、人骨の性別や年齢が詳しく調査されたら、当時の社会構造や分業の仕組みが解明されることを期待できるものである。なお、出土した人骨の分析が進み、 20歳代前半の男性1体の上腕骨・大腿骨から身長が170センチ台であることがわかった。当時の縄紋人男性の身長は150センチ台であることが多く、本例は現代人に匹敵する体格である。小竹貝塚の人骨の分析がさらに進めば、縄紋人の多様性や系譜についての新しい知見が得られる可能性がある。富山市埋蔵文化財調査センターが調査して、2014年に弥生時代後期初め(紀元前後ごろ)の用水路から木製盾(たて)を見つけたことを発表した。これはモミの縦板に孔(あな)をあけて、ひもで連結して、置き盾として用いたものである。このような盾の最古例は九州にあり、東海・中部以西での発見例があったが、本例は日本海域の最北例となる。小竹貝塚は縄紋時代の貝塚として著名であるが、弥生時代後期にも重要遺跡が存在したと考えられる。