奈良県明日香村大字越にある飛鳥時代の古墳。明日香村教育委員会が牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)の墳丘南東の裾から発見し、調査した。その結果、石英閃緑岩の巨石を刳(く)り貫いて作った横口式石槨(せっかく 横から棺を納める容器あるいは墓室)が見つかり、7世紀中ごろから後半にかけてのものであると推定された。牽牛子塚古墳は斉明天皇(594~661)とその娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を葬った墓である可能性が非常に高く、「日本書紀」天智6年2月にある「皇孫大田皇女(おおたのひめみこ)を、(斉明)陵前の墓に葬る」とする記録から、本古墳が大田皇女の墓であるとする考えが有力である。大田皇女は、中大兄皇子(天智天皇 626~671)の娘で、大海人皇子(天武天皇 ?~686)の妃である。