京都府木津川市山城町上狛にある、古墳時代、古代、中世の遺跡。古代は、聖武天皇(701~756)が740年から744年まで都(みやこ)をおいた恭仁京(くにきょう)の京域(右京)にあたる。なお京域は居住空間、宮域は役所と内裏(だいり)の空間である。京都府埋蔵文化財調査研究センターが調査して、恭仁京の時期の南北正方位の溝とそれに沿う掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、土器や瓦が見つかった。さらに建物に近い穴からは荷札に用いた木簡(文字を書いた板)が見つかり、讃岐国との物流があったことがわかった。恭仁京は短期の都であり、宮域がどの程度整備されていたか不明であったが、この成果はその解明の糸口となるものである。