大阪府八尾市亀井町にある遺跡。弥生時代を中心とし、近世・近代まで存続した。1981年に大阪府文化財センターほかの調査で出土した石器の中に、弥生時代前期末(約2400年前)の天秤秤(てんびんばかり)の分銅と考えられる製品が11点あることを、2013年に奈良文化財研究所の森本晋国際遺跡調査室長がみつけた。これらは輝緑岩などを使って円柱形に丁寧に磨いて仕上げたものであり、重量が、8.7グラムから280グラムまで、最も軽いものの2倍、4倍、8倍、16倍とほぼ倍数となる重さであることから、分銅と推定された。これらと一緒にみつかった石杵(きね)に、祭祀に用いられた顔料の「朱」が付着していたため、顔料の調合に用いたと推定されている。弥生時代の分銅としては、長崎県壱岐市原の辻(はるのつじ)遺跡からみつかった、中国華北産の原料を用いた竿秤(さおばかり)用の青銅製の「権(けん)」(弥生時代後期)が最古であったが、本例はそれより年代が古いだけではなく、弥生社会が広く度量衡を用いる高度社会であったことを示唆している。