群馬県みどり市笠懸にある旧石器時代の遺跡。日本列島に旧石器時代の遺跡が存在することがはじめて確認された遺跡であり、この時代を岩宿時代とよぶ研究者も存在する。1946年頃に在野の考古学者、相沢忠洋(1926~89)が発見し、49年に明治大学教授の杉原荘介が主導する調査団が発掘調査をおこなった。79年に国史跡に指定された。遺跡が発見された道路(切り通し)の北がA区とされ、この地区から二つの石器群が発見されている。下層の岩宿I文化は、頁岩(けつがん)製を主体とする掻器(そうき〈スクレイパー〉 皮や肉ほかを切ったり削ったりする小型の刃物)、打製石斧、石核(石器を割り取る原石)などがあり、2次加工した剥片(石器製作工程でできた鋭い刃をもつ石片を道具にしたもの)や礫(れき)、クリ材の炭化物などがみつかった。この層をAT火山灰(姶良Tn火山灰 2万6000年余り前に大噴火した鹿児島の姶良カルデラの火山灰)がおおうことから、約3万年前頃の年代が与えられている。その上に存在した岩宿II文化では、頁岩に加えて黒曜石、安山岩、瑪瑙(めのう)などを使い、切り出し型のナイフ形石器(片刃の利器であり、刺す・切る機能が推定される)が主体をなし、2万年前頃と考えられている。岩宿遺跡の発見以後、日本の旧石器文化と、火山堆積(たいせき)物に関する研究が急速に進められるようになった。