2015年、兵庫県南あわじ市の石材加工業者の砂山で見つかった7点の銅鐸。3点が入れ子状態であり、本来すべてが一括して埋納されていたとみられる。兵庫県教育委員会ほかの調査でこれらが弥生時代前期末~中期前半(紀元前3世紀~紀元前2世紀ごろ)の初期の銅鐸であり、舌(ぜつ、銅鐸の中につり下げて揺らせて音をだす棒状道具)が銅鐸内にあったこと、鈕(ちゅう、銅鐸をつり下げるための部分)に紐(ひも)が残っていたことがわかった。銅鐸の中から舌が見つかったことも、鈕から紐が見つかったことも初めてのことであり、初期の銅鐸はぶら下げて、揺らして鳴らす楽器であった、とする説が裏付けられた。また初期の銅鐸の段階から大量埋納の風習があったことがわかったことも重要な発見である。さらには紐の年代測定による、埋納年代の確認も期待される。