歌舞伎俳優の名跡。屋号は播磨屋(はりまや)。初代(1886~1954)は、3代目中村歌六(1849~1919)の長男として生まれ、若年から一座を率いて活躍。6代目尾上菊五郎(1885~1949)と並び昭和前期を代表する名優となって、一代で名跡を高めた。時代物・世話物にわたる幅広い役をこなし、芝居のうまさと名調子で知られる。1951年文化勲章。3代目中村時蔵(1895~1959)、17代目中村勘三郎(1909~88)は弟。現2代目吉右衛門は1944年に初代の長女と8代目松本幸四郎(初代松本白鸚 1910~82)との間に次男として生まれる。兄は現2代目松本白鸚(1942~)。後継ぎのなかった祖父の養子となり、中村萬之助を名乗る。初代の没後、父のもとで修業するが、この間に幸四郎一門が東宝に移籍したため、歌舞伎のみならず様々なジャンルの舞台や映画に出演することになる。1966年、帝国劇場にて2代目吉右衛門を襲名。祖父・父の芸風と役どころを受け継ぎ、正統派歌舞伎俳優となることを目指してひたむきな努力を重ね、現代を代表する立役となった。重厚にして緻密、それでいて情感と愛嬌も兼ね備え、的確な技巧と深い解釈に立った役作りの妙に、風貌と口跡の見事さが加わり、歌舞伎を見る醍醐味を余すところなく伝える舞台を積み重ねつつある。3代目中村又五郎(3代目中村歌昇から襲名 1956~)、甥にあたる10代目松本幸四郎(1973~)、娘婿の5代目尾上菊之助(1977~)など後進の指導にも力を入れ、テレビドラマ「鬼平犯科帳」シリーズでも人気を博す。2002年日本芸術院会員。11年人間国宝。17年文化功労者。