歌舞伎俳優の名跡。屋号は高麗屋(こうらいや)。7代目(1870~1949)は9代目市川團十郎の門弟で舞踊もよくし、「勧進帳」の弁慶を生涯の当たり役とした。8代目(1910~82)はその次男(長男は11代目市川團十郎、三男は2代目尾上松緑)で、初代中村吉右衛門に師事し、重厚な芸風で時代物の立役を得意として昭和後期の名優の一人となった。81年文化勲章。同年に名跡を長男に譲り松本白鸚(まつもとはくおう)を名乗るが翌年に死去。9代目(1942~)は、現代の歌舞伎立役を代表する俳優の一人であると同時に、日本のミュージカルの開拓者でもある。帝国劇場でシェイクスピアを演じた7代目、文学座や文楽の太夫と共演した8代目のように、進取の気性は家の伝統でもあるが、市川染五郎を名乗っていた若き日に、父や弟(現2代目中村吉右衛門)とともに東宝に所属した経験が大きい。菊田一夫のもとで現代劇やミュージカルに次々と挑戦して成果を上げた。70年にはブロードウェイの劇場で英語による「ラ・マンチャの男」に主演。日本でも再演を重ねた。2008年には、「ラ・マンチャの男」1100回、「勧進帳」1000回の主演を達成。09年芸術院会員。12年文化功労者。女優の松本紀保、松たか子は娘。18年1月に、9代目が2代目松本白鸚、長男の7代目市川染五郎(1973~)が10代目松本幸四郎、その長男が8代目市川染五郎を同時に襲名した。