近代の日本演劇史は、江戸三座(市村座・中村座・森田座)の流れをくむ大歌舞伎、また新派、新国劇、文芸協会や築地小劇場などに端を発する新劇、そして松竹や東宝などの大資本による商業演劇などを中心に論じられることが多かった。しかし、明治期においても多くの観客は、小芝居と呼ばれる中小の劇場で演じられる歌舞伎劇を愛好していた。大歌舞伎で所を得られない門閥外の役者が座長として腕をふるったり、観客の好みを敏感に反映した演目や演出で根強い人気を集めた。また大正から昭和初期にかけては、浅草を拠点とする喜劇や女剣劇などの一座も多く誕生した。こうした一座は離合集散を繰り返しながら、あるいは地方都市や行楽地の芝居小屋を足場とし、あるいはそうした劇場を巡る旅興行に活路を見いだした。また江戸時代以来の劇場主・興行師のネットワークも根強く残っていた。やがて映画・テレビが大衆娯楽の中心となる時代が来ても、家族的結束を基に徹底したサービス精神を旨とする一座は、舞台と客席の濃密な触れ合いを求める観客の支持を得てしぶとく生き残っていった。現在は全国に25ある専門劇場とセンターと呼ばれる健康ランドやホテルが主な活動の場となっている。一座の中で生まれ育ち、あるいは様々な場での修業を積んだ座長や役者たちは、あらゆる演目や技巧・観客の好みを熟知し、多くは口立てによって当意即妙の芝居を作り上げ、舞踊・歌謡・殺陣(たて)などを駆使して観客を楽しませる。バロック期にヨーロッパ演劇を席巻したコンメディア・デッラルテにも一脈通じるところがある。近年そうした特性が改めて見直され、また若年ながら真摯(しんし)に芸を磨く美形の役者がメディアに取り上げられてブレークするケースも増えてきた。すでにメジャーとなって久しい梅沢武生・梅沢富美男や松井誠などに加え、「流し目王子」こと早乙女太一(さおとめたいち)や、早乙女紫虎(さおとめしこう)や宝海大空(たかみおおぞら)を擁する宝海劇団などが注目を集めている。