歌舞伎俳優の名跡。屋号は松嶋屋。現15代目(1944年3月14日生まれ)は、現在の歌舞伎を代表する立役(たちやく)の一人。昭和後期の上方歌舞伎の名優13代目片岡仁左衛門(1903~94)の三男として大阪に生まれる。5代目片岡我當(がとう)、2代目片岡秀太郎(ひでたろう)は兄、秀太郎の養子片岡愛之助は甥(おい)にあたる。49年本名の片岡孝夫で初舞台。以後50年近くその名を名乗り続ける。戦後、上方歌舞伎が衰退する中で育ち、東京の名門に生まれた7代目尾上菊五郎や12代目市川團十郎など同世代の役者に比べ、活躍の場に恵まれなかった。64年上方歌舞伎再興をめざして父が私財を投じて行った「仁左衛門歌舞伎」において、近松門左衛門作「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」の与兵衛役で評判を取り、以後当たり役として繰り返し演じることになる。関西における活動がますますせばまり、東京に移ってしばらくは役に恵まれなかったものの、坂東玉三郎との共演が増えると、ともに長身美貌の「孝玉コンビ」に人気が沸騰し、鶴屋南北の作品などで目覚ましい成果を上げた。映画やテレビドラマにも出演して人気の幅を広げる一方で、父の薫陶のもと上方歌舞伎を継承、古典の大きな役にも次第に実力を発揮し、98年、長年女形として活躍した片岡我童(1910~93)に14代目を追贈し、15代目として仁左衛門を襲名した。「恋飛脚大和往来」(通称「梅川忠兵衛」)の忠兵衛など上方の二枚目役はもとより、本格的な義太夫狂言においても「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相(かんしょうじょう)などでも第一級の芸を見せる。2006年日本芸術院会員。15年人間国宝。