史上初の無敗の三冠馬で、「皇帝」と呼ばれた昭和の最強馬。G1(→「グレードレース」)では三冠のほかに天皇賞・春、ジャパンカップ、有馬記念(2回)に優勝し、1984、85年の年度代表馬(→「JRA賞」)に選出された。86年にはアメリカからヨーロッパに転戦する予定だったが、その緒戦となったアメリカのサンルイレイステークス(G1)のレース中に故障して6着に敗れ、引退を余儀なくされた。普段はわがままで気性の激しい馬だったが、オーナーブリーダー(→「馬主」)の和田共弘(シンボリ牧場)と調教師の野平祐二によってデビュー前から英才教育を施され、主戦騎手の岡部幸雄に「ルドルフから競馬を教えられた」と言わしめたほど冷静で自制心のある走りを見せた。種牡馬となってからもトウカイテイオー(皐月賞、ダービー、ジャパンカップ、有馬記念でG1を4勝)という名馬を送り出した。04年に種牡馬を引退してからは、千葉県成田市のシンボリ牧場で余生を過ごしていたが、11年10月4日に老衰死した。30歳の大往生だった。