20世紀前半の大恐慌と二つの大戦の中で、英米両国ともに執行権(首相と大統領)が強まり、三権分立は建前化し、むしろ集中された国家権力を行使する分業と協業の体制と見られるようになる。こうして議員内閣制と大統領制という制度的な区別を超えて、現実の政治過程の差異、より具体的には政党の役割の差異が注目されるようになり、議員内閣制ではなくて「首相型政治(prime-ministerial politics)」、大統領制ではなくて「大統領型政治(presidential politics)」という用語が用いられるようになった。第二次大戦後の西ドイツと、東西ドイツが統一して以後のドイツでは大統領がおかれているが、大統領は名目的な元首でしかなく、そこでは「首相型民主主義(Kanzlerdemokratie 独)」とよばれる首相型政治が行われている。首相型政治では、首相の権力基盤は議会の与党にあるから政党の結束は強い。それに対抗する野党においても、党議員に対する党の規制は強い。各党の候補者は、党執行部が作ったマニフェストを掲げて選挙戦を戦い、総選挙で勝って政権を獲得すれば、首相がそのマニフェストを法案化するのを支援する。それに対して大統領型のアメリカでは、上下両院議員は党の看板を掲げているにもかかわらず、各自が地方の代表者であり、当然に党の団結はゆるい。たとえば今日のように共和党の大統領のもとで、大統領にとって重要な法案であっても一部の共和党議員の反対を受け、一部の民主党議員の支持によって、いわゆる交差投票(cross-voting)によって可決されるのが普通である。予算に支出目的のあいまいな「かくし金(pork barrel)」があり、両党の議員がいわゆる「丸太ころがし(log-rolling)」の利益連合を作って、法案を通過させる。
さて日本は、明治憲法で内閣制度と議会制度を採用したにもかかわらず、官僚政治の伝統が強く残り、大正デモクラシーのもとで曲がりなりに議院内閣制が実現されても官僚統治の実体にはさして変化はなかった。政党は政権の利益にあずかろうとする利益集団でしかなかった。その意味では、議院内閣制ではあっても政党の結束は弱く、政党は内閣を通じて政権を運営するというより利益集団でしかないという意味では、アメリカの政党に近かった。新憲法下で議会は国政の最高機関の地位を認められ、首相を指名する権限を得たにもかかわらず、官僚依存と団結のゆるい政党という事態は温存されてきた。高度成長下のいわゆる政財官による利益分配型の政治がそれをいっそう強化した。そしてこの10年、まさにこの体制を改革しなければならないという意識は次第に広まってきた。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」「私の内閣に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」として、世論の高い支持を受けて自民党総裁、そして首相に選ばれるが、ここでの焦点はむしろ旧来の自民党支配の型を破ることにあった。小泉以後、首相を支える新しい型の政党政治が定着するかどうかが今後の課題である。ついでながら、新憲法下で地方自治体の首長が公選制になって以後、日本の地方政治は大統領型政治である。