1955年に左右社会党の統一と保守合同によって自由民主党(自民党)と日本社会党(社会党)による二大政党制が実現し、55年体制と名づけられた。しかし、自民党に対し社会党は半分の勢力しかなく、現実には「1か2分の1政党制」にすぎず、自民党の一党支配、長期政権を許すことにもなった。93年総選挙後の細川護煕政権の誕生で55年体制はいったん崩壊した。94年6月の村山「自社さ」連立政権は形を変えた55年体制の復活だったが、98年6月に社会、さきがけ両党が与党を離脱し、名実ともに55年体制に幕が下りた。(→「政界再編成」)