新党を立ち上げるなどして政党の組み合わせを変えることによって政治を刷新しようとする動き。「政党再編成」とも、政権を取るために野党が画策することが多いことから「野党再編成」ともいわれる。自由民主党(自民党)長期政権が1993年にいったん政権を失ったのに伴い、政界再編成が大きく進んだ。その間、新進党の結成と解党などさまざまな有為転変のあと、2009年総選挙で民主党への政権交代が実現したことで大きな節目を迎えた。その前後から自民党と民主党に次ぐ「第三極」勢力を目指す動きが活発化した。09年に渡辺喜美の「みんなの党」が結成され、10年参議院選挙に向けて平沼赳夫、与謝野馨の「たちあがれ日本」、舛添要一の「新党改革」などが相次いで旗揚げした。10年参議院選挙ではみんなの党が10議席獲得と善戦した程度で他の新党は振るわなかったが、次の総選挙に向けて第三極を目指す動きは続いた。民主党を離党した小沢一郎が12年7月、新党「国民の生活が第一」を、橋下徹が同年9月、新党「日本維新の会」をそれぞれ立ち上げた。石原慎太郎とたちあがれ日本による「太陽の党」が同年11月旗揚げし、さらに太陽の党は日本維新の会に合流した。国民の生活が第一は同月、嘉田由紀子を代表とする「日本未来の党」に衣替えした。同年12月総選挙では、第三極勢力は日本維新の会、日本未来の党、みんなの党の三つに分かれて戦う形となり、選挙結果は日本維新の会とみんなの党が躍進したが、日本未来の党は惨敗した。13年7月参議院選挙では与党圧勝、民主党惨敗のなかで第三極を目指す日本維新の会とみんなの党が一定議席を占めたのを受けて、民主党を含めた野党再編論が活発化した。しかし野党再編成の是非をめぐっては、みんなの党が13年12月に、日本維新の会が14年7月それぞれ分裂するなど迷走した。他方、日本維新の会はみんなの党から分かれた江田憲司らの「結いの党」と合流して9月、「維新の党」を結成。日本維新の会から分かれた平沼赳夫らは「次世代の党」を結成したが、12月総選挙では維新の党は微減となり、次世代の党と生活の党は惨敗した。民主党は15年1月代表選で、当面は独自再建を進める方向となったため、民主党側からの政界再編成論は下火になる一方、維新の党側も再編成に消極的になった。(→「ミニ政党の動き」)