1996年1月19日、日本社会党(社会党)が党名を変更して誕生した社会民主主義政党。通称は社民党。前身の社会党は45年11月、戦前の無産政党各派が大同団結して結成され、左右両派に分裂後、55年10月13日に統一した。93年8月には細川政権に参加、次の羽田政権退陣後は一転して自由民主党・新党さきがけに推されて94年6月に村山富市社会党委員長(当時)が首相に就任。95年5月党大会で民主・リベラル新党への移行を明記した「95年宣言」を採択し、96年1月党大会で党名を変更、51年間の社会党史の幕を下ろした。初代党首は村山富市。同年9月党大会で党首は土井たか子に交代し、10月総選挙後には閣外協力に転じた。98年6月には与党を離脱し、丸4年にわたった「自社さ体制」を解消した。2003年7月、辻元清美前政審会長が秘書給与の流用疑惑で逮捕され大きなダメージを受けた。同年11月総選挙での敗北を受けて、党首は3代目福島瑞穂に交代し、05年12月無投票で再選された。06年2月党大会で初の綱領的文書「社会民主党宣言」を採択。自衛隊について「現状、明らかに違憲状態にある」とし、村山党首(首相)時代に転換した方針を再転換した。07年参議院選挙では比例区での2議席のみだった。同年12月、福島党首は3選された。09年総選挙でも5議席しか得られなかったが、政権に就いた民主党と連立を組んだため、福島党首が鳩山内閣で消費者・少子化担当相に就任。同年12月に4選された。米軍普天間基地移設問題で辺野古崎への移転という政府方針に反対したため、鳩山由紀夫首相が10年5月、福島消費者・少子化担当相を罷免。社民党は連立政権から離脱した。12年1月の任期切れを前に福島党首への対抗馬を立てる動きが強まったが、現職議員10人のうち4人と都道府県連の推薦が必要とする立候補要件に阻まれて、立候補できず、結果的に福島党首が無投票で5選された。12年総選挙ではわずか2議席だった。議員数の減少と1964年に建てられた社会文化会館(通称「三宅坂」)の老朽化に伴い、同会館にあった党本部を2013年1月、首相官邸近くの民間ビルに移した。13年7月参議院選挙でわずか1議席と惨敗し、福島党首は引責辞任した。同年10月、党首選が社民党に移行してから初めて実施され、4代目の党首に吉田忠智が選出された。