一党だけで国会の過半数を占める政党がなく、複数の政党が協力関係を結んでできた政権を一般的に「連合政権」といい、そのうち複数の政党によって内閣をつくる場合を特に「連立政権」「連立内閣」という。英語では同じ表現になる。一つの政党だけで内閣をつくる「単独政権」と対比される。連合政権ではあるものの、連立政権でないケースとしては「閣外協力」がある。少数与党政権が閣外の政党との間で政策協定を結んで協力を得る場合である。議会レベルの連合であり、政府レベルの連合である「閣内協力」と比べて政権に対する責任感において違いがある。1993年8月発足した細川内閣は、世界的にも珍しい7つの政党と1会派が連合・連立した政権である。次の羽田政権では日本社会党(現・社会民主党(社民党))と新党さきがけが閣外協力に転じ、村山政権と第1次橋本政権は自由民主党(自民党)、社会党、新党さきがけの3党連合・連立政権(「自社さ」連立政権)、第2次橋本政権では社さ両党が閣外協力となった後、98年6月両党が与党を離脱し連合政権は解消された。小渕政権は単独政権として発足後、まず自由党と、次いで公明党を加えた「自自公」の連合・連立政権に移行、末期に自由党が連立離脱を表明。2000年4月に誕生した森政権では保守党を加えた「自公保」連立政権となり、小泉政権にも引き継がれた。02年12月の保守新党発足に伴い、自民党と公明党、保守新党の「自公保」連立政権に移行。03年11月に保守新党が自民党に合流した後は「自公」連立政権となり、安倍政権、福田政権、麻生政権まで続いた。09年9月、民主党は衆議院で絶対安定多数を制したものの、参議院での過半数を確保するため社民党、国民新党と連立を組んだ。しかし普天間基地移設問題に絡んで社民党の福島瑞穂党首が消費者・少子化担当相を罷免され、社民党は連立を離脱。民主党・国民新党の連立政権となり、菅政権、野田政権でも両党が連立を継続した。12年12月総選挙の結果、大勝した自民党は政権離脱前と同じく公明党と連立政権を組んだ。