公明党は1964年、創価学会を支持母体として結成され、当初から創価学会の政治部的な性格を帯びていたが、69年の「言論・出版妨害事件」や88年の大橋敏雄議員による雑誌「文藝春秋」誌上での池田大作名誉会長批判論文と大橋除名問題などで、いくども政教分離問題が論争の的となった。93年の細川護煕政権誕生で公明党が政権入りしたため、宗教と政治の関係が改めて注目された。公明党が分党して参加した新進党が95年参議院選挙で躍進したため、危機感をもった自由民主党(自民党)が池田名誉会長の証人喚問問題を持ち出した。しかし、99年7月には公明党と創価学会は一転して自民党と組み、閣内協力する方針を決めた。これに対し自民党支持で反創価学会の宗教団体などでつくる「四月会」(代表世話人俵孝太郎)は「自自公」連立に強く反発し、政教分離を求めたが、小泉純一郎首相が2002年秋の公明党大会で池田名誉会長を評価する発言をし、政教分離問題を取り上げる自民党からの声は小さくなった。半面、04年参議院選挙ではかつて自民党を支持していた立正佼成会が民主党候補支持に回った。