福田康夫首相の突然の辞任表明を受けて実施された自由民主党(自民党)総裁選(→「自民党総裁公選規定」)で当選した麻生太郎を首相に2008年9月24日発足した自民、公明両党連立政権。同22日投票の総裁選では投票総数527票(無効2票)のうち351票を獲得し、与謝野馨、小池百合子、石原伸晃、石破茂の4候補を破った。衆議院解散・総選挙が最大の課題。党人事では幹事長に細田博之、内閣の要である官房長官に河村建夫など比較的目立たない人物を起用したのは、選挙では「人気の麻生」の一枚看板で戦えば十分との考えによる。しかし発足時の内閣支持率が48.6%(共同通信世論調査)と福田内閣発足時の支持率(同57.8%)をかなり下回ったことや、アメリカの投資会社リーマン・ブラザーズの破綻で金融危機が全世界に波及したことから早期解散を回避した。その後、定額給付金や補正予算の提出時期、消費税引き上げ問題など経済政策が迷走したため、内閣支持率が20%近くまで急落し、解散・総選挙はさらに延ばさざるを得ない厳しい状況のまま越年した。09年2月、中川昭一財務相がローマでのG7(先進7カ国)財務相・中央銀行総裁会議後に、もうろう状態で記者会見を行ってしまい辞任し、政権に大きな打撃となった。3月には民主党代表小沢一郎の公設第1秘書が東京地検に逮捕される「敵失」があったものの、衆議院解散には踏み切らず、その間に民主党の小沢から鳩山由紀夫への代表交代による体制立て直しを許す結果となった。6月には党内から「麻生降ろし」の動きが強まったものの、しのぎ切り、7月12日の東京都議選で自民党が惨敗するという最悪の状況の中で衆議院解散・総選挙に踏み切った。8月30日総選挙の結果は自民党119議席の惨敗に終わり、退陣した。