自由民主党(自民党)の派閥。池田勇人派(宏池会)―前尾繁三郎派―大平正芳派―鈴木善幸派―宮沢喜一派(宏池会―木曜研究会)―加藤紘一派(宏池会)―堀内光雄派―丹羽雄哉・古賀誠派―古賀誠派―岸田文雄派と継承。加藤派は宮沢派の大部分(河野洋平グループは離脱)を継承して1998年12月22日発足したが、2000年11月、森内閣不信任案をめぐるいわゆる「加藤(紘一)の乱」で分裂。加藤の考えに反対した古賀誠、堀内光雄らが加藤派を脱退して01年1月31日に堀内光雄派を結成。05年8月、郵政民営化反対の堀内が会長を辞任した。06年2月、後任会長は置かず、丹羽雄哉と古賀誠の2人「代表」制としたため、一時期、丹羽・古賀派と呼ばれた。同年9月の安倍政権発足に伴い丹羽が党三役入りしたため、10月5日、古賀が会長に就任し古賀派に名称変更した。一方、堀内派に加わらず残された加藤派議員は02年4月、加藤の議員辞職を受けて小里貞利が会長に就任し小里派と称した。小里引退に伴って05年9月26日、谷垣が会長に就任し谷垣派となった。正式名称は古賀派、谷垣派とも同じ「宏池会」を名乗っていた。08年になって再合流の機運が盛り上がり5月13日、古賀派と谷垣派が再合流し、会長には古賀誠、副会長には谷垣禎一が就任して古賀派となった。09年総選挙後の総裁選で久しぶりに谷垣総裁を出したものの、首相でない野党総裁。平井卓也が10年4月に退会。園田博之がたちあがれ日本に参加した。12年9月自民党総裁選で会長の古賀が谷垣を支持せず、谷垣は出馬辞退に追い込まれたことから総裁選後も古賀派に復帰しなかった。他方、古賀は総裁選での候補擁立での責任を取って派閥会長を辞任し、10月4日、岸田文雄が後継会長に就任し、岸田派に衣替えした。衆参議員42人(15年1月現在)。(→「自由民主党の派閥」)