自由民主党(自民党)は2006年9月の自民党総裁選(→「自民党総裁公選規程」)を前に、「ポスト小泉」に向けた議員集団が相次いで生まれた。安倍晋三を推す若手・中堅議員は06年6月「再チャレンジ支援議員連盟」を結成。94人が参加した。安倍晋三、塩崎恭久、石原伸晃らの「NAIS(ナイス)」もある。05年総選挙初当選のいわゆる小泉チルドレンがつくった「83会(はちさんかい)」も安倍支持色が強かった。これら小泉チルドレンの一部を集めて武部勤が06年12月に「改革フォーラム・新しい風」をつくった。07年5月には安倍外交をバックアップするため「価値観外交を推進する議員の会」(会長古屋圭司)が発足した。他方、福田康夫らベテラン議員でつくる「知命立志の会」(通称クローニンの会)の06年5月の会合には32人が参加して安倍支持グループと競い合ったが、福田が総裁選に立候補せず活動力は低下した。旧宮沢派につながる3派閥議員らは反小泉色の強い「アジア戦略研究会」を発足させた。加藤紘一、山崎拓らが結成した「アジア外交・安保ビジョン研究会」や、河野洋平、福田康夫らの「北京オリンピックを支援する議員の会」などさまざまな議員集団が活動した。07年9月の安倍退陣に伴い、「安倍・反安倍」を軸にした議員集団の動きもほとんど見られなくなった。12年9月の谷垣禎一の総裁任期切れを前に、ポスト谷垣を狙って、石破茂の政策勉強会「さわらび会」、甘利明中心の「さいこう日本」、林芳正の勉強会「水正会」、山本有二らの「のぞみ」および後藤田正純らの「新世紀」など、派閥横断的なグループが相次いでできた。(→「議員集団/議員連盟」)