「アジアの中の日本」という立場は、日米関係と国際連合重視と並んで、戦後日本外交の原則である。自由民主党政権下でも、東アジア共同体については、しばしば論じられてきた。2005年には東アジア首脳会議(サミット)が発足している。09年9月に発足した民主党の鳩山由紀夫内閣も、東アジア共同体構想を、「対等で緊密な日米関係」と並んで外交政策の柱にした。ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)では世界経済の4分の1を、APEC(アジア太平洋経済協力会議)では半分を占める。鳩山首相によると、東アジア共同体は「友愛精神」を基に、この地域での「開かれた地域協力」をめざすものであり、さまざまな協力枠組みが補完し合うものである。経済協力とともに、環境問題や災害対策、感染症対策などでの協力も想定されている。同首相は09年10月にタイで開かれた東アジアサミットでもこの構想を表明し、支持を訴えた。ただし、いずれも長期的な課題の指摘にとどまり、まだ具体的な政策には結びついていない。また、自民党政権下では、インドやオーストラリアといった民主主義国の参加が重視されていたのに対して、鳩山政権下での同構想では、中国との協力がより重視されているようである。鳩山首相は、アメリカを排除しないと述べているが、東アジアの範囲と参加国について合意は存在しない。1993年にマレーシアのマハティール首相が東アジア経済圏構想を提唱した際には、アメリカの影響力排除の意図が明確であった。アメリカの中には、こうしたアメリカ排除の動きへの警戒感も少なくはない。ただし、鳩山内閣の退陣後、東アジアでFTA(自由貿易協定)が進み、TPP(環太平洋経済連携協定)が議論される中で、東アジア共同体への言及はほとんどなくなった。野田佳彦首相は新たに「太平洋憲章」を提唱した。しかし、2012年12月の日本の政権交代や日中関係、日韓関係の悪化もあり、当面の現実性は遠のいている。