菅直人内閣は、2011年3月に起こった東日本大震災の復興に当たり、「復旧の段階から、単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指していくことが重要である。このため、被災地の住民に未来への明るい希望と勇気を与えるとともに、国民全体が共有でき、豊かで活力ある日本の再生につながる復興構想を早期に取りまとめることが求められている」との観点から(11年4月11日閣議決定)、「震災からの復興に関して識見を有する者」からなる東日本大震災復興構想会議を立ち上げた。議長は五百旗頭真・防衛大学校長が務め、安藤忠雄(建築家)と御厨貴・東京大学教授が議長代理となり、その他の委員には、佐藤雄平(福島県知事)、村井嘉浩(宮城県知事)、達増拓也(岩手県知事)、玄侑宗久(福島県三春町福聚寺住職)、内館牧子(脚本家)、中鉢良治(ソニー副会長)、橋本五郎(読売新聞特別編集委員)、赤坂憲雄(学習院大学教授)、大西隆(東京大学大学院都市工学専攻教授)、河田恵昭(関西大学社会安全学部長)、清家篤(慶應義塾長)、高成田享(仙台大学教授)が就任したほか、特別顧問に梅原猛(哲学者)がなった。そして、4月11日に首相官邸で第1回の会合が開催された。会議の下には検討部会が設けられ、部会長の飯尾潤(政策研究大学院大学教授)ほか、18人が任命された。今回の復興構想会議は阪神・淡路大震災の際に市街地再開発などを提言した「阪神・淡路復興委員会」(委員長・下河辺淳元国土事務次官)がモデルとなった。会議は5月10日に復興のための7原則を発表し、そして、6月25日の第12回会合で「復興への提言~悲惨の中の希望」を発表して、事実上その任務を終えた。提言は、(1)地域づくりや復興プラン、(2)生活や産業の再生、(3)東京電力福島第一原子力発電所事故の被災地復興、(4)国内全体の再生と災害への備えから構成されている。政府は、この提言を受けて、6月28日に復興対策本部を立ち上げ、本部長の菅首相が提言を最大限尊重する旨発言した。そして、7月29日には復興基本方針が策定された。なお、11年6月に成立した東日本大震災復興基本法によると、東日本大震災復興構想会議は、東日本大震災復興対策本部(本部長は総理大臣)の下に置かれ、「東日本大震災復興構想会議等及びその他の本部に置かれる組織の機能は、復興庁及びこれに置かれる組織に引き継がれるものとする」とされている。そして、12年2月に復興庁が設置されたことにより、復興推進委員会(五百旗頭真委員長)に衣替えした。