シンガポールの「建国の父」。2015年3月23日、91歳で死去した。カリスマ的な指導力で東南アジアの動乱を乗り切り、「アジアの金融センター」としての地位を築いて、小国シンガポールをアジア1の富裕国に引き上げた功績は大きい。イギリス植民地時代に華僑の家に生まれ、ケンブリッジ大学に留学して弁護士となる。1954年に人民行動党(PAP)を結成。59年にイギリス連邦のシンガポール自治州首相に就任。65年の同国独立以来首相を務め、90年に辞任するまで通算30年以上も指導者の地位に留まった。その後も上級相、顧問相を歴任。長男のリー・シェンロン(→「リー・シェンロン政権」)も2004年に首相に就任するなど、一族は「リー王朝」ともいわれる権威を誇った。外交では、1967年の東南アジア諸国連合(ASEAN)設立を主導するなど、親米路線をとりつつ、冷戦終結後はベトナムや中国との関係も深めてバランス感覚を示した。内政では「政治の安定」を掲げて、長期にわたり事実上の一党支配を続けるなど強権的な体制(→「開発独裁」)を維持した。