非政府組織の「パリヴァルタン(変革)」を主宰してきた元連邦政府公務員アルビンド・ケジリワルが、市民運動家や元ジャーナリストなどとともに、2012年11月に結成した新政党。13年12月には、初陣の首都デリーの議会選挙で、一躍28議席を獲得し、第一党のインド人民党(31議席)に次ぐ第二党となった(総議席70)。インド人民党が組閣を辞退したため、デリー政権は庶民党が担当することになった。党名の頭文字AAPは、ヒンディー語での「アープ(あなた)」に通じる。選挙シンボルの「箒(ほうき)」が既存政党による汚職腐敗政治を一掃するという象徴的な意味もあって、デリーの中層から下層市民の広い支持を集めた。ケジリワルらの非政府組織「パリヴァルタン」は、情報公開制度を利用してデリーの配給制度の不正を追及してきた(→「インドの情報公開法」)。かれらは、11年に社会活動家のアンナー・ハザレーが指導した「ロークパール」(オンブズマン制度)導入運動に参加した後、政党結成に踏み切った(→「インドの汚職問題」)。新党結成後も、AAPはデリー市内の電力料金引き下げ運動など地道な活動を続け、デリー議会選挙での躍進につながった。首都デリーでの国民会議派とインド人民党の二極政治に転換をもたらしたものと評価されている。14年2月14日、デリーのAAP政権は、公約とした反汚職法(ジャン・ロークパール法)が国民会議派とインド人民党の反対によって議会上提を阻まれたとして辞職した。