2014年末以降にアメリカ軍の一部を継続的にアフガニスタンに駐留させるための法的根拠となる2国間協定の締結をめぐる問題。10年から11年にかけてアメリカや北大西洋条約機構(NATO)は、アフガニスタンで展開する部隊の完全撤退と治安維持機能のアフガニスタン国軍への移譲を表明し、漸進的に実施に移されてきた(→「アフガニスタン駐留アメリカ軍撤退」、「アフガニスタンの現状」)。しかし、その結果アフガニスタン国内の治安が悪化し、タリバンの勢力がアフガニスタン南部を中心に回復傾向にあることから、治安維持改善のためのアフガニスタン国軍の訓練を目的として、一定規模のアメリカ軍をアフガニスタン国内に残すべきだとの案が検討されるようになった。12年5月、オバマ・アメリカ大統領がカブールを電撃訪問し、カルザイ・アフガニスタン大統領との間で戦略協力協定に署名した。これにより、アメリカ軍の戦闘任務が終結する14年末以降も一部のアメリカ軍の駐留を維持することで基本合意し、同年11月より安全保障協定の締結に向けた交渉が始まった。しかし、交渉が難航したというだけでなく、13年6月にアメリカがアフガニスタン政府の頭ごしにタリバンとの直接和平交渉を行おうとしたことにカルザイ大統領が反発し、一時は交渉プロセスそのものが停止した。アフガニスタン側は、駐留アメリカ軍兵士による犯罪への実質的な治外法権に反発しており、一般市民がしばしば巻き添えになっているアメリカ軍のテロ対策における攻撃機能をどの程度維持するのか、市民が苦痛を感じている民家への家宅捜索が許容されるのかについても議論になっている。同年11月に開かれたロヤ・ジルガ(国民大会議)は、カルザイ大統領が速やかに協定に署名するよう求め、協定文書の文面についても妥結したと報じられた。しかし、カルザイ大統領はアメリカ側が求める13年末までの署名を拒否し、14年4月の大統領選挙の後、後任大統領が署名すべきとの見解を示した。14年9月、ガニ新大統領は、就任直後に同協定に署名した。16年末までにアメリカ軍は基本的に撤退し、アフガニスタン国軍に国内の治安維持機能を完全移譲する一方で、オバマ前アメリカ大統領は17年以降も5500人のアメリカ兵の駐留を続けるとした。アフガニスタンでは、タリバンがもはや一枚岩ではなくなっており、さらに「イスラム国」(IS)も勢力を拡大させている。その中でのアメリカ軍の撤退により、アフガニスタンの治安は確実に悪化している。