日本では、1955年の原子力基本法制定を受けて、56年に日本原子力研究所(原研 JAERI ; Japan Atomic Energy Research Institute)が設立された。67年になって動力炉・核燃料開発事業団(動燃 Power Reactor and Nuclear Fuel Development Corporation)が分離独立して、2頭立ての体制となった。しかし、動燃が担当した人形峠のウラン鉱山は閉山、独自開発の新型転換炉「ふげん」は経済性が全くなく廃炉、また高速増殖炉は実験炉「常陽」、原型炉「もんじゅ」とも事故で停止中。動燃は98年に核燃料サイクル開発機構(Japan Nuclear Cycle Development Institute)として改組されたが、2005年10月、原研と再統合して日本原子力研究開発機構となった。さらに、13年7月になって、文部科学省の改革本部が、核融合研究や基礎的な量子ビームを用いる研究は、理化学研究所や高エネルギー加速器研究機構に移し、JAEAは原子炉関連の研究だけに特化する方針が示された。