高速増殖炉(FBR)の実験炉として、日本は「常陽」を建設、原型炉として建設した原子炉が「もんじゅ」である。電気出力28万kW。原子炉容器、冷却材ポンプ、熱交換器を配管で結ぶループ型(loop type)。1970年に計画されたときには360億円で建設できるとされたが、85年の着工時には5900億円が必要とされ、その後も建設費は高騰、すでに1兆円近い経費が投入されている。95年12月に、ようやく試運転を開始したが、出力が40%に達した時点で、ナトリウム漏洩(ろうえい)事故を起こし、停止。2003年1月、名古屋高等裁判所から設置許可を取り消されたが、05年5月、最高裁が「安全審査は正当であった」と判断、改造工事を実施。燃料中の核分裂性プルトニウム-241は半減期が14.4年と短く、運転停止中に非核分裂性のアメリシウム-241に変わってしまった。そのため、当初の燃料では原子炉を起動することができず、新たな燃料を作って装荷した。一応、改造工事が終わったとされた後、多数の温度計の取り付けにミスがあったこと、屋外ダクトにも穴が開いていたことが発覚した。また、従来は無視していた活断層がごく近傍にあることも分かった。当初、動力炉・核燃料開発事業団であった組織は核燃料サイクル機構に変わり、さらに日本原子力研究開発機構へと変わったが、もんじゅの多発するトラブルを前に、日本原子力研究開発機構は「組織のたるみが要因」と自己批判の報告書をまとめ、組織の再編に手をつけた。08年に再稼働の予定であったが、次々と延期され、10年5月6日にようやく第1段階の試験運転に入った。同年7月に試験運転を終了したが、今度は燃料交換をするための重さ3.3tの中継装置を炉内に落下させた。中継装置は変形して、炉外に引き出すことができなくなった。結局、原子炉周辺を大改造して、ようやくのこと中継装置を引き出した。以降、存廃の議論が活発化し、政府の行政刷新会議は12年の試運転費22億円を削除するよう提言。試運転ができなくなった。さらに、政府の「革新的エネルギー・環境戦略」では、高速「増殖」炉としてエネルギー源にしようとする計画は断念された。しかし、廃炉にする前に超ウラン元素の核変換用の研究炉として存続させることが決められた(→「核変換処理」)。だがそれも、「短期間であっても、運転ができれば、核分裂性のプルトニウムの組成が98%という非常に優秀な原爆材料が製造される」という極めて軍事的な思惑が基本にあるためである。そのうえ、12年の衆議院選挙で政権に返り咲いた自民党は、高速増殖炉路線を復活させ、もんじゅも増殖炉として復活させた。ただし、1万件を超える点検の不備が発覚したほか、もんじゅの補助建屋直下に活断層がある疑いがあり、現在、調査中。一方、これまでの経緯を審査してきた原子力規制委員会は、日本原子力研究開発機構にはもんじゅの運営能力がないとして、別の組織を探すよう、文部科学大臣に勧告した。しかし、もんじゅを担える組織は日本原子力研究開発機構以外には存在していない。