社会や国家、あるいはそこに存在する法律や制度の正しさ。古代ギリシャの哲学者プラトン(Platon 紀元前428/7~紀元前348/7)は、国家を構成する支配者、軍人、市民の三階級がそれぞれの務めを果たすことで成り立つ調和に、国家の正義を見出した。アリストテレス(Aristotels 紀元前384~紀元前322)は、各人の能力に応じて名誉や富を配分する分配的正義や、不正などによって生じた損害を埋め合わせる矯正的正義などについて論じ、その後の西洋思想に大きな影響を与える正義論を構築した。中世の神学者トマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1225頃~1274)は、「合理的存在者」という本質に基づいて普遍的な善を求めることが人間の正義であるとし、それは神が与えた自然法(lex naturae 羅 ; natural law)に適うことであるとした。
近代に入ると、正義は人々の間の相互の契約によって定められるとする社会契約説と、社会の構成員の幸福を最大化することが正義であるとする功利主義が、有力な正義の理論として提出された。
20世紀半ば、功利主義を批判し、リベラリズム(liberalism)の立場から「正義」を論じたのがロールズ(John Rawls 1921~2002)である。ロールズの『正義論』は、「無知のヴェール」によって自らの社会的な地位や才能に無自覚となった人々が合理的に選択する原理こそが正義に適っているという契約説的な着想に基づき、個人の自由の尊重と不平等な格差の是正を正義の原則に据えた。
こうして定式化されたリベラリズムは、国家の役割を最小化すべきだとするノージック(Robert Nozick 1938~2002)らのリバタリアニズム(libertarianism)、共同体の道徳を重視するコミュニタリアニズム(共同体主義 communitarianism)、そして配分する財貨の量ではなく配分された財貨によって得られる「生き方の幅」に注目すべきだとするセン(Amartya Sen 1933~)らのケイパビリティ・アプローチからの批判を受けた。また、リベラリズムが前提とする公私二元論は私的領域における女性の従属的な状況を放置してしまうとするフェミニズムからの批判もある。
これらとは異なる観点から正義を論じた現代の哲学者がデリダ(Jacques Derrida 1930~2004)である。デリダは、あらゆる法はその創設の原初に個別的な他者を抑圧する暴力を抱えているとし、その他者の呼びかけに応えて法を脱構築(deconstruction)する営みの内に正義を見出した。ここには、個別的な他者との倫理的な関係に正義の根源をみたレヴィナス(Emmanuel Levinas 1906~1995)の影響がある。