出家(しゅっけ)とは、俗世間を離れて仏門に入り、仏道修行をすること、またその人。出家の対語が在家(ざいけ)で、出家していない在俗の人を指す。いずれも仏教用語だが、世界の諸宗教でも、世俗を捨てて信仰集団に入る者と在俗の者、聖職者と俗人とを区別することが多い。
紀元前5世紀頃、インドでは、バラモン教のベーダ聖典(→「ヒンズー教(ヒンドゥー教)」)の伝統的な権威を認めない沙門(しゃもん)が現れ、解脱(→「業/輪廻」)への道を求めて世俗を捨て、瞑想や苦行などの修行に専念した。解脱して名声を得た沙門の下には、多くの弟子が集まり、出家者・沙門の集団が形成された。釈迦(ブッダ)もそのような有力な沙門であった。
仏教においてはこの伝統を継承し、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者に金銭や食料などを施す「布施」をして生活を援助するという役割分担で、出家者・僧侶と在家者・俗人を二分し、出家者がその中心となる制度が形成されていった。
タイなどの上座部仏教では、これは現在でも維持され存続している。一方、紀元前1世紀頃に始まった大乗仏教(→「大乗/小乗」)では、俗世間を離脱して、自己の悟りを求めて修行するのではなく、世間において人々を救う、すなわち衆生済度(しゅじょうさいど)する菩薩となることを求め、在家信者とともに修行する運動が起こった。在家信者は、男性が優婆塞(うばそく:サンスクリットupsakaの音訳)、女性が優婆夷(うばい:サンスクリットupsikの音訳)と呼ばれた。日本の仏教はこの大乗の系譜に連なっている。