山崎闇斎(あんさい、1618-82)が唱えた近世初期の儒家神道。朱子学を中心にして、吉田神道や伊勢神道、などを取り入れ、さらに陰陽五行や易学(→「道教(タオイズム)」)の要素も加えている。闇斎は会津藩主の保科正之(ほしなまさゆき)に儒学者として仕え、正之の師事していた吉川惟足(これたり)から吉田神道を伝授され、「垂加」という霊社号を授与された。垂加神道の名称はこれによっている。闇斎は伊勢神宮に参詣して信仰を深めて、度会延佳の伊勢神道と吉川惟足の吉田神道を儒学・朱子学に立脚して総合する神道を説いた。闇斎の神道思想は朱子学の「天人合一」の原理を神道に取り入れて「天人唯一之道」とし、人間には神霊が内在し、神と一体になるために心身の清浄を保つように修行すべきだと説いた。また、皇祖の天照大神(あまてらすおおみかみ)から連綿と続く皇統を受け継ぐ皇孫(天皇)と、その臣下との関係も神代から変わらずに続いており、君臣の道は絶対であると説き、幕末に至る尊王思想の源流の一つとなっている。