1980年に開始した国際的な建築展。ポストモダンの動向を印象づけた第1回の「過去からの現存」以降、2010年までに12回の展覧会が行われた。定期的な国際建築展として最も規模が大きく、注目を集めている。吉阪隆正(1917~80)の設計した日本館では、1996年、磯崎新(いそざきあらた 1931~)がコミッショナーとなり、阪神・淡路大震災のがれきを持ち込んだ「亀裂」の展示によって金獅子賞を獲得した。「少女都市」や「OTAKU」をテーマとした展示も話題を呼んだ。2006年、第10回のヴェネチア・ビエンナーレの日本館のコミッショナーは、建築史家であると同時に建築家としても活躍する藤森照信が務め、本人の作品のほか赤瀬川原平や南伸坊らが参加し、路上観察学の成果を紹介した。08年第11回の日本館は建築批評家の五十嵐太郎(1967~)をコミッショナーとして、若手建築家石上純也と植物学者の大場秀章による小さな温室群と庭で、世界的に高い評価を得た。10年第12回では、全体のディレクターを日本人初、女性初の妹島和世(→「SANAA」)が務め、石上純也が出品作品「空気のような建築(アーキテクチャー・アズ・エア)」で展示部門最高の金獅子賞に選ばれた。