日本を代表するデザイナー。1934年生まれ。桑沢リビングデザイン科を卒業後、松屋インテリアデザイン室などを経て、65年にクラマタデザイン事務所を設立し、研ぎすまされたセンスで、インテリア、プロダクト、家具を手がけ、アートの領域に越境していく先端的なデザインを切り開いた。とりわけ軽さや浮遊感を表現した作風で注目されている。こうした代表作としては、透明なアクリルの中にバラの造花が漂う椅子ミス・ブランチ(88年)や、金属製のメッシュでボリュームをつくる椅子ハウ・ハイ・ザ・ムーン(86年)などが挙げられる。91年に56歳で亡くなったが、今なおその影響力は持続している。2011年、東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)」で開催された「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」は、倉俣が1990年代以降のデザイン界の動向を先駆けていたことを改めて感じさせる内容だった。例えば、「トワイライト・タイム」(1985年)のメッシュ状の脚は、伊東豊雄(1941~)のせんだいメディアテークのチューブ(2000年)を予見したかのようである。また無重力への志向は、SANAAの妹島和世(せじまかずよ 1956~)、隔世遺伝的には石上純也(いしがみじゅんや 1974~)や中村竜治(なかむらりゅうじ 1972~)を含むゼロ年代の建築家にまで受け継がれたものとみなせるかもしれない。