現代建築の最先端を行きながら、社会の変化に柔軟に対応する建築家。1941年生まれ。東京大学を卒業し、メタボリズムの建築家である菊竹清訓に師事した後、71年に独立。初期の住宅作品は、中野本町の家(78年)など都市に対して閉じた家を手がけていたが、80年代以降は自邸のシルバーハット(84年)など、環境に開かれた建築に向かう。95年のコンペで最優秀を獲得したせんだいメディアテーク(2000年)は、透明な箱とチューブによる構造によって、新しい情報化時代の象徴となるデザインを提示し、これを契機に台中メトロポリタンオペラハウスなど、コンピューターの発達が切り開くテクノロジーの可能性を受け入れながら前衛的な建築を次々と打ち出す。東日本大震災の後、一部被災したせんだいメディアテークを訪れ、東北との関係を強め、伊東はさらなる変化を遂げる。ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2012に出品し、仙台市や岩手県陸前高田市に建設したみんなの家のプロジェクトを通じて、建築の原点を見つめ直し、デザインの競争よりも建築家が社会にきちんと受け入れられていなかったことを問題に掲げるようになった。「かまいし未来のまちプロジェクト」の復興ディレクターに就任するなど、被災地の復興に積極的に関わっている。2013年、プリツカー賞受賞。