建築家はさまざまな形で被災地の復興に関わり、国際交流基金が主催する「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」の世界巡回展でその取り組みが紹介されている。注目されたのは、伊東豊雄(1941~)の呼びかけで始まった集会所、みんなの家が各地で竣工(しゅんこう)されたことだ。彼が設計に関わったものが岩手県陸前高田市や仙台市に建設され、山本理顕(1945~)は岩手県釜石市に、妹島和世と西沢立衛のSANAAは宮城県松島市の宮戸島にそれぞれ建設している。これに類似した施設としては、高崎正治による岩手県山田町のこころシェルター消防団員のいえが竣工した。また長谷川豪(1977~)は東京のギャラリーで展示したものを移築して、宮城県石巻市の幼稚園に鐘楼を、成瀬・猪熊建築設計事務所は陸前高田市に仮設のコミュニティーカフェ、手塚貴晴(1964~)と手塚由比(1969~)は津波を被った杉材を使いながら、宮城県南三陸町に仮設のあさひ幼稚園を建設している。また東北大学教授の小野田泰明(1963~)がプログラムを組んだ宮城県七ヶ浜町のほか、岩手県釜石市などの自治体では、コンペが実施された。これまでに七ヶ浜町では高橋一平(1977~)が幼稚園、乾久美子(1969~)が小・中学校を、SALHAUS(サルハウス)が陸前高田市の中学校を、釜石市では平田晃久(1971~)が災害復興公営住宅を設計することが決定している。2011年は緊急措置的な対応や仮設住宅が中心だったが、こうした復興に関わる建築家の動きは今後、さらに広がるだろう。