戦後の日本には民主主義のために必要な形式的な条件は備わっていたが、1955年以降、自由民主党がほとんど中断なく政権についており、国民には昨日までの与党を追放して野党を政権につかせる自由はなかった。しかし2009年の総選挙において、1955年体制下で初めて民主党が自民・公明連立政権に圧勝して政権についた。総選挙前には、それ以前の自民党内のタライ回しの政権交代ではなく、政党間の明確な政権交代が起これば、政治は政党間の政策論争をめぐって展開されるようになり、腐敗は少なくなり、日本に英米流の二大政党制の下、安定した政治が生まれるものと期待されていた。その結果はどうであったか。期待が大きかっただけに失望も深かった。ユーロ危機に立たされたイタリアとギリシャでは、選挙で選ばれてはいない国家財政の専門家を中心に既存の政党政治家を排除したいわゆる実務家政権が生まれたが、政党政治そのものに対する不信感は、日本でも広がっているようである。日本の政治をよくするためには、政権交代の他にどのような条件が必要なのか。
今回の経験から学んで、政権交代をたんなる与野党の交代に終わらせないようにするには、いくつかの条件が必要である。一つは政党について、野党時代の民主党は、政治指導という統治様式の変革と、「国民生活が第一」という政策選択を掲げたが(→「民主党政権下の政策選択」)、いかにも準備不足であった。野党時代には、議員は選挙区で支持者に自民党政権批判をぶっていれば事足りたが、与党になれば政権批判を受ける側に回る。民主党の議員は、支持者の批判に政策論で説得するよりも、むしろ自らの政権の足を引っ張る方向に走った。第二に、野党時代に堅実な政策選択を準備するには、「影の内閣」を作るとともに、野党党首の指導権を確立しておかねばならない。それによって政権についた時には、首相の指導力を強めることができるであろう。これには政党の制度改革が必要である。第三にもっと形式的な制度論として、いわゆる「ねじれ国会」によって短命政権が常態化するのを防ぐためには、参議院の意味の見直しが新たに必要になる。憲法改正を要する参議院廃止論はしばらくおくとしても、もし衆議院が国民の意志を十分に反映しているとすれば、それを妨害するだけの参議院は不要である。参議院に存在価値があるとすれば、選挙制度を改め、例えば地方政党の動きに反映されているような国民の意向を反映できるように改革すべきであろう。