政党または会派の決定(党議)にその構成員が拘束されることが党議拘束。議院内閣制の国では形式の違いはあれ党議拘束が存在するのが普通である。しかし諸外国の党議が一般に各議院ごとにそれぞれの本会議での最終表決前に決定されるのに対して、日本では自由民主党(自民党)政権時代には、与党の事前審査制度により法案の国会提出前に党議決定がなされ、かつ本部決定として衆議院(衆院)と参議院(参院)の所属議員をともに拘束していたのが特徴で、国会の特殊性や問題点の重要な背景になっていた。2005年の第164回国会では、小泉純一郎首相の推進する郵政民営化関連法案に対して、衆参の本会議で自民党から党議違反の造反投票が続出。衆院はかろうじて通過したものの、参院で否決となり、小泉首相は衆院を解散し、党議違反者は公認せずに、別に刺客と称された公認候補を立てて徹底的に対決し、国民の圧倒的支持を受けて大勝した。党議違反者は無所属で戦ったり、選挙前に別の党を結成したりしたが、多くは次の第1次安倍晋三内閣で復党した。政策の政府一元を掲げ、与党の事前審査制度を廃止した09年以降の民主党政権下では、当初鳩山由紀夫内閣で党の政策調査会も廃止し、陳情以外の政府に対する与党の要望を封印したため、党議拘束の前提となる党議自体が存在しなくなったが、実際には政府法案に対する造反投票は生じなかった。その後菅直人内閣では党の政策調査会を復活させ、部門会議、各府省政策会議等で与党議員の意見も聴くようにし、野田佳彦内閣になってからは、党議の決定は政府・民主三役会議において決し、党役員会に報告するとされた。しかし野党提出の菅内閣不信任決議案に民主党から賛成者と欠席者が出て、それぞれ処分が行われた。野田内閣では、11年12月の原発輸出を可能にする4カ国との原子力協定の承認の採決で多数の造反が出たほか、民主党内で最も厳しい対立に発展した社会保障と税の一体改革における消費税引き上げ法案等の採決では、衆院で民主党から57人が反対投票を行い、体調不良による欠席者を除き15人が欠席・棄権した。これらの議員のうち小沢一郎らその後離党した議員37人は除名(除籍)、党に残った議員のうち総理経験者の鳩山由紀夫は党員資格停止6カ月、その他の18議員は党員資格停止2カ月、一部の法案のみに棄権した15議員は棄権した法案数により常任幹事会名による厳重注意ないし幹事長名による注意の処分が行われた。採決前に離党届を提出して反対した13人と、まだ採決が行われていない参院からの離党者12人には処分は行われなかった。なおその後の参院採決では、6人の民主党議員が反対投票を行い、そのうち離党届を提出した者を除く5人は常任幹事会名による厳重注意処分が行われた。12年12月に自民党と公明党に政権が戻って成立した第2次安倍内閣では、13年に世論の批判の強かった特定秘密保護法案の採決をめぐって、衆院では退席者1人、参院では反対票1人が出たが、参院の反対票については本人が手続きミスと釈明し、処分も行われなかった。党議拘束と造反投票は、理論的にも実践的にも政党論と議会論の重要テーマの一つである。