55年体制の下では「日本社会党=総評」ブロックと「民社党=同盟」ブロックという、政党と労組の支持関係は固定化していた。労組は二つのチャンネルを通じて総資本に対してもの申すとともに、政党への影響力を行使しようとした。1987年の連合結成後、旧総評系労組は「社会党と連帯する会」をつくり、旧同盟系は「友愛会」をつくって単産中心に政党支持を行ってきた。93年の細川「非自民」政権の成立は、かつて対立していた両ブロックが同じ政権与党になった点で画期的だった。しかし、94年の村山「自社さ」政権の成立で、連合は再びまた裂き状態に陥り、各単産は社会民主党(社民党)、新進党、民主党支持に分かれ、97年7月には旧総評系労組が「民主・リベラル労組会議」を結成。新進党解党と新「民主党」の発足後は組織内候補が民主党、自由党、社民党に分散したため、連合は政治活動の一本化に乗り出し、99年10月の定期大会で「連合政治センター」を設置した。民主党と労組の関係は、脱労組路線を模索した前原誠司代表の時代には連合との関係が冷却化したが、2006年4月に就任した小沢一郎代表は組織重視の姿勢を打ち出した。04年と07年、10年の参議院選挙では有力単産が組織内候補を擁立するなど従来の選挙戦を展開したが、集票力には限界がみられた。連合は12年12月総選挙で支持していた民主党が大敗したことで政治的には大きな打撃をこうむった。引き続き民主党を支持していくが、誕生した自公政権に対して「政労会談」の開催を申し入れ、影響力の保持に努めた。13年1月の中央執行委で、改訂作業している政治方針の素案を決定した。憲法改正について、これまで「時期尚早」としていたのに対し、「取り巻く情勢を冷静に見極めて対応を図る」と柔軟な姿勢を示している。