2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣において、連立与党の党首が政策の調整を行うために設けられた閣僚委員会。鳩山内閣では特定の政治問題ごとに関係する大臣から構成される会議を閣僚委員会と呼んでいるが、与党3党の党首が入閣し、基本的な政策の調整を目的とするということで基本政策に関する閣僚委員会と名づけられた。社民党や国民新党は、連立与党の政策調整のための機関を当初は、政府の外に置くことを主張したが、民主党は09年総選挙のマニフェストで「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」を掲げたこともあり、調整機関を内閣の下に置くことを主張し、結局、社民党や国民新党は「きちんと意見が反映できればいい」ということで、連立与党の調整を閣僚委員会の一つで行うことに同意した。そして、9月9日の「3党連立政権合意書」で、「調整が必要な政策は、3党党首クラスによる基本政策閣僚委員会において議論し、その結果を閣議に諮り、決していくことを確認する」と記されることとなった。党首クラスとして、民主党から菅直人国家戦略相、社民党から福島瑞穂党首、国民新党から亀井静香党首が想定されていた。
第1回目の基本政策閣僚委員会は09年9月28日に開催された。開催の前に急きょ各党の党首と幹事長クラスの政府与党首脳会議が設定され、それを受ける形で閣僚委員会が開かれた。委員会には、鳩山首相(民主党代表)のほか、菅国家戦略相、福島消費者相(社民党党首)、亀井金融相(国民新党代表)、藤井裕久財務相、平野博文官房長官の5閣僚が出席した。委員会は、自民党政権時代の概算要求基準(シーリング)を廃止し、新しい概算要求を10月15日まで再提出するように各省に指示する方針を決めた。そして、閣僚委員会は週1回程度の割合で定例化することとした。また、委員会の前に開催された政府与党首脳会議との関係については、平野官房長官は、首脳会議は「各党の政治的な問題の意見交換の場」であり、与党の政策調整は閣僚委員会でなされると発言している。
基本政策閣僚委員会は、政治の節目に開催され、12月4日には09年度第2次補正予算に盛り込む経済対策を決定する第7回目の会議が予定されていたが、予算規模の拡大を唱える亀井金融相が欠席したために、会議は開かれず、経済対策の決定もできなくなった。上記の連立政権合意があるためである。結局、基本政策閣僚会議は、12月8日になってようやく新たな経済対策を決定し、同日に閣議決定がなされた。そして、10年5月28日の委員会で、沖縄の普天間基地を辺野古地区に移すことを鳩山首相が提案したが、社民党の福島党首が反対し、社民党が連立から離脱したために、基本政策閣僚委員会も事実上、廃止となった。