2002年9月17日、小泉純一郎首相は北朝鮮との約1年間にわたる水面下の交渉を経て、訪朝し、金正日国防委員会委員長と会談した。北朝鮮を「悪の枢軸」の一部としたブッシュ大統領の一般教書演説は、北朝鮮にアメリカによる「先制行動」への危機意識を植えつけており、「経済管理改善措置」を軌道に乗せる上でも北朝鮮は日本の支援を必要としていた。対する日本は、拉致問題の進展を前提とし日朝国交正常化を日韓国交正常化と同様の方式で進めることについて首脳レベルで合意することを考えた。ここで署名された「日朝平壌宣言」は外交的には成功といってよいが、死亡と伝えられた拉致被害者の全容解明などの課題は残された。強調すべきは、この宣言で「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を順守する」と確約したことである(第4項目)。ただし、高濃縮ウラン(HEU)による核開発計画(→「北朝鮮核開発問題」)が発覚して以来、この問題は6者協議で解決が試みられ、「日朝平壌宣言」が指針になったわけではなかった。その後小泉首相は日朝関係の改善と拉致問題の打開のため、04年5月22日に再訪朝した。拉致被害者の子供の帰国が実現したことは評価してよいが、金正日は安否不明者について再調査すると約束するにとどまった。また、小泉首相は「日朝平壌宣言が順守される限り経済制裁は発動しない」と述べたが、北朝鮮が核開発を進めている状況でこの発言を行ったことは問題視された。なお、6者協議共同声明では、この宣言に従って日朝国交正常化の措置をとることに言及され、2007年2月13日の「共同声明履行のための初期段階合意」、同年10月3日の「共同声明履行のための第2段階措置合意」でも同様の文言に言及された。