アフガニスタン大統領。1949年生まれ。パシュトゥン人。ベイルートのアメリカン大学で学ぶ。77年に同大学を卒業後、帰国してカブール大学で教鞭を取るが、直後に奨学金を得てアメリカのコロンビア大学で学び、文化人類学で修士・博士号を取得した。その後、カリフォルニア大学バークレー校やジョンズ・ホプキンス大学で教鞭をとり、91年には世界銀行に職を得て主に南アジア地域の途上国開発に携わった。78年のソビエト連邦(ソ連)のアフガニスタン侵攻に端を発する内戦期やタリバン政権時代を通じてアメリカを拠点にしていたが、2001年9月にアメリカで起きた同時多発テロ事件の直後、国連アフガニスタン特別代表の顧問に就任し、アフガニスタンに帰国。ハミド・カルザイ大統領の第一次政権下では02年から04年まで財務大臣を務め、各地の軍閥が握っていた財務の中央集権化を推進して新通貨を導入し、投資プロジェクトを誘致するなど、新生アフガニスタンの経済復興と国家建設に尽力した。04年よりカブール大学学長。06年には国連事務総長選挙に立候補するも落選。09年、アフガニスタン大統領選挙に初めて立候補するも、わずか3%の得票で落選。10年からは、国際治安支援部隊(ISAF)や北大西洋条約機構(NATO)軍から、アフガニスタン国軍に国内の治安維持権限を円滑に移譲することを任務とする移行調整委員会を率い、国内外での政治的影響力を高めた。14年4月の大統領選挙では、アブドラ・アブドラ元外務大臣に次いで2位の得票だったが、同年6月の決選投票の結果、逆転。アブドラ陣営が選挙の不正を告発し、国内分裂の危機も叫ばれたが、最終的にアブドラを首相に相当する権限を持つ行政長官として招き、挙国一致体制を敷くことで妥結。同年9月に大統領に就任。タリバン勢力を含む国民統合やISAF、NATO軍撤退後の国内治安維持の問題など、大統領として解決すべき問題は山積している。(→「アフガニスタン大統領選挙(2014年)」)