東京電力福島第一原子力発電所には、1号機(46万kW)、2~5号機(各78万4000kW)、6号機(110万kW)と、合計6基の沸騰水型炉(BWR)が稼働していた。2011年3月11日午後、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起き、それは津波を誘発した。青森県から千葉県にいたる東日本沿岸の市町村が大きな被害を受け、そこに立地していた原子力発電所もそれぞれに被害を受けた。そのうち、東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機は、全交流電源喪失(ブラックアウト blackout)に追い込まれ、破壊された。ブラックアウトは従来から、原子力発電所の破局事故の最大の要因であることが分かっていたが、東京電力と国は、そのようなことは決して起きないとして「想定不適当事故」として無視し続けてきた(→「仮想事故」)。事故により、日本政府の説明に従えば、広島原爆168発分のセシウム137が大気中に放出されたし、その評価すらが過小評価と指摘されている。さらに、海への放出もある。日本政府は事故翌日の12日に、国際原子力事象評価尺度のレベル4事故だとして事故を小さく見せようとした。その後、3月18日にレベル5に格上げされ、4月12日になって結局最高段階のレベル7事故であったことを認めた。
かつて、人類が遭遇した最悪の原子力事故は1986年のチェルノブイリ原子力発電所(Chernobyl nuclear power plant)の事故であったが、それに匹敵する事故が事故から4年経った今も進行中である。当初、およそ1000km2の地域が、警戒区域、計画的避難区域として無人にされてきた。2012年4月になって、その区域を(1)除染後に避難指示を解除する「避難指示解除準備区域」(年間被曝線量20mSv<ミリシーベルト>以下)、(2)一時帰宅が可能な「住居制限区域」(同20~50mSv)、(3)「帰宅困難区域」(同50mSv以上)に編成替えした。しかし、避難指示解除準備区域の基準である年間被曝線量20mSvは、従来は放射線作業従事者のみに許されていた基準であり、それを一般住民に強制するうえ、放射線感受性の高い子どもにまで強制することには、原子力を推進してきた学者の中でも批判があり、住民の帰還は容易には進んでいない。また、この原発事故のために苦難のどん底で亡くなっていった「原発事故関連死」は、地震や津波による「震災関連死」を超えて、いまだに増加中である。