11世紀末から13世紀末にかけて、キリスト教の聖地エルサレムをイスラーム(イスラム)勢力から奪回するために派遣された西欧諸国の遠征軍。イスラーム勢力の侵攻を受けたビザンチン帝国(→「東方正教会」)の皇帝アレクシオス1世は、それまで対立していたローマ・カトリック教会に救援を要請。これを受けて1095年、クレルモン宗教会議で教皇ウルバヌス2世が、異教徒に支配されているエルサレムの奪回を提唱した。翌96年、教皇の呼びかけに応じたフランスの騎士たちを中心とする各地の諸侯が、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルに集結し、トルコ、シリアへと遠征した。多くの犠牲を出しながら、遠征軍は99年にエルサレムを占領し、フランスの騎士ゴドフロワ・ド・ブイヨンを統治者とするエルサレム王国が樹立された。ほかにもいくつかの十字軍国家が成立。やがて占領地防衛と巡礼者保護のため、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団などの騎士修道会(騎士団)が設立され、ローマ教皇の認可を受けた。十字軍は計8回(7回、9回説もある)派遣されたが、第3回遠征の時、アイユーブ朝を興したサラーフ=アッディーン(サラーフッディーン、サラディン)のジハード(聖戦)により壊滅的な敗北を喫し、エルサレムを奪還された。以後十字軍は敗退し続け、最初の遠征からおよそ200年後の1291年、わずかに残ったパレスチナの拠点アッコン(アッコ)が陥落して、十字軍の時代は終わった。十字軍はキリスト教徒にとって聖地奪還を掲げた聖戦だったが、次第に教皇の政治的野心や、諸侯の領土獲得などに目的がすり替わり、イスラームにとっては略奪と虐殺の侵略戦争にほかならなかった。エルサレムはユダヤ教の神聖な祈りの場「嘆きの壁」、イエス・キリストの墓と伝えられる「聖墳墓教会」、イスラームの預言者ムハンマドが昇天したとされる「岩のドーム」という三つの宗教の聖地であり、この地を巡る深刻な対立は現在も続いている。「十字軍」の名称は、南フランスの異端派(カタリ派)を滅ぼした「アルビジョワ十字軍」のように、ほかにも反キリスト教と目される敵対勢力に対する殲滅(せんめつ)戦・侵略戦争を正当化するために使用されてきた。現代でもナチスドイツ占領下のフランスに侵攻した「ノルマンディー上陸作戦」や、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件以降の対テロ戦争を、一部の政治家などは「十字軍」と呼んだ。一方、イスラム勢力側でも、過激派組織「イスラーム国」(IS)はアメリカを中心とする有志連合軍を、イスラームに敵対する侵略軍として十字軍と呼んでいる。