2000年の通常国会から、総理大臣と野党党首との党首討論が正式にスタートした。衆議院(衆院)と参議院(参院)の国家基本政策委員会の合同審査会の形を取り、毎週水曜日に行うのが原則だが、総理大臣が本会議や委員会に出席する週は行わない合意がある。衆院と参院のいずれかで10人以上の議席を有する野党党首が、議席比例による持ち時間の範囲で自由に取り上げるテーマ(事前通告が必要)で、対面式で行われる。イギリス議会の口頭質問(クエスチョン・タイム)をまね、国会論戦の活性化のために導入された。01年に小泉純一郎総理の登場で視聴率を上げたが、その後マンネリ化も指摘された。当初40分だったが、第156回国会(03年)から45分になった。日本共産党と社会民主党の議席減により、第161回国会(04年)から第171回国会(09年)まで参加資格は民主党だけになった。総理大臣と野党党首の顔触れにより、熱心に行われたりそうでなかったりする。民主党の小沢一郎代表は、党首討論に熱心でなかったとされ、実施回数も少なかった。09年の政権交代後、鳩山由紀夫総理大臣は自分の政治資金問題もあり、党首討論を避けていると言われたが、10年2月に自由民主党(自民党)、公明党の両党首との間で初めて行われた。その後民主党政権では菅直人総理は3回、野田佳彦総理は4回党首討論を行ったが、野田総理の最後の1回を除いてすべて顔触れは民主党の総理と、自民党の谷垣禎一総裁および公明党の山口那津男代表の組み合わせになり、11年3月以降は東日本大震災からの復興問題が加わったほかは、谷垣総裁、山口代表が早期の衆院解散を迫り、総理の側はねじれ国会下で社会保障と税の一体改革等への野党の協力を求めるというパターンが繰り返された。野田総理の最後の12年11月の党首討論は、自民党総裁が安倍晋三に交代してから初めてのもので、この討論で野田総理は、安倍総裁に対して国会議員定数削減を翌年の通常国会で必ずやり遂げる等を約束すれば翌々日に衆院を解散すると意表をつく発言を行い、これに安倍総裁や山口代表が応じる劇的な展開を見せた。討論の席上での合意通りに、11月16日に衆院は解散された。その後の総選挙で成立した第2次安倍内閣では、自民党は首相の予算委員会出席に上限を設けるとともに、見返りとして党首討論を充実させる国会改革案を提示したが、その後も党首討論が充実したとは言えない状況が続いている。