一党だけでは国会の過半数をもたない政権与党が政策課題ごとにケースバイケースで野党と話し合い、その協力を得て政権運営を行う手法。「連立政権」や「閣外協力」に比べて協力の度合いは一時的で弱い。1977年に大平正芳自由民主党(自民党)幹事長(当時)が新自由クラブ、公明党、民社党に、80年代末に竹下登首相(当時)が公明、民社両党にそれぞれ「パーシャル連合」を呼び掛けたが、実現しなかった。橋本政権下の97年4月、沖縄特別措置法案での自由党との協力、小渕政権下の98年秋、金融国会での民主党との協力が部分連合に当たる。2010年7月参議院選挙の結果、衆議院と参議院で多数派が異なる「衆参ねじれ国会」となったため、民主党は政策ごとに賛同を得る部分連合の手法での国会乗り切りを模索したが、10年秋の臨時国会では功を奏せず、法案成立率は37%ときわめて低かった。11年秋の臨時国会で東日本大震災関係の補正予算、復興増税法、復興庁設置法で野党の修正案を大幅に受け入れて成立させたのは一種の部分連合だったといえる。それでも法案成立率は34%とさらに低くなった。